元フジテレビアナウンサーとして人気を得ていた逸見政孝さんがガンを公表し、わずか48歳という若さでこの世を去ってから25年。
逸見政孝さんを“育ての親”と慕っていたフジテレビアナウンサー安藤優子さん。逸見政孝さんの葬儀を伝えるレポートでは大号泣し、25年経った今でも悲しみは続いていると語っています。
今回は、逸見政孝さんと安藤優子さんの関係についてご紹介します。
逸見政孝アナ
逸見政孝(いつみ まさたか)
生年月日:1945年2月16日
出身地:大阪府大阪市
出身大学:早稲田大学第一文学部
逸見政孝さんは元フジテレビアナウンサーで、フリーに転身し人気アナウンサーとして活躍していました。
1993年9月、自身がガンに侵されていることを記者会見で発表し世間に衝撃を与えました。
そして、同年12月25日、わずが48歳という若さでこの世を去りました。それはガン告白の記者会見からわずか3ヶ月の訃報でした。
1993年1月から入院をしていた時にはガンを公表していませんでした。せん通性十二指腸潰瘍という別の病名を公表しました。
それはガンであると告白することで周りに迷惑をかけてしまうことになるからだったと語られていました。
この時、逸見政孝さんには1月18日にガンであるという告知がされていたそうです。
病状が悪化したことで、このまま嘘の病名を伝えることで周りに迷惑をかけてしまう状態となり、9月のガン告知会見が開かれることとなったのです。
安藤優子アナ
安藤優子(あんどう ゆうこ)
生年月日:1958年11月19日
出身地:千葉県市川市
出身大学:上智大学国際学部
安藤優子さんといえばベテランアナウンサーですが、意外にも学生時代になりたかったのはアナウンサーではなく、ホテルウーマンだったそうです。
高校生の時にアメリカに留学にいっていた経験もあり、当時から英語は堪能だったようです。
上智大学進学後も留学を希望しており、資金を集めるためにアルバイトをしていたそうです。そのアルバイトとは、渋谷のエレベーターガール。外国人客と流暢に話す様子を目撃していたテレビ朝日のプロデューサーの目に留まり報道の仕事するようになったようです。
大学を休学し、報道の仕事を続けていた安藤優子アナは28歳で復学しますが、ほどなくしてフジテレビから声がかかり、1987年FNNスーパータイムに出演。学生とアナウンサーの二足のわらじを履いていた安藤優子さんは1988年に上智大学を無事卒業しています。
安藤優子アナはフジテレビアナウンサーだと思っていましたが、どうやら違うようです。
上智大学在学時からフリーで活動しており、テレビ朝日やフジテレビなど報道の仕事をされていますが、現在もフリーのアナウンサーなんだそうです!
フジテレビの帯番組を担当することが多いので、もはやフジテレビの顔くらいに思っていましたが、フリーアナウンサーだったんですね!
逸見政孝と安藤優子の関係は?
逸見政孝さんはフジテレビアナウンサー時代、FNNスーパータイムで安藤優子さんと共演していました。
安藤優子さんは当時上智大学に在学しながら仕事を続け、卒業後も大学院で学ぶなど勉強熱心でした。
安藤優子さんは、当時大人気アナウンサーだった逸見政孝さんから多くのことを学んだようです。逸見政孝さんを「育ての親」と呼んでいるそうなので、とても尊敬していたんでしょうね。
1993年、逸見政孝さんの訃報をリポートした安藤優子さんは涙を堪えきれずに大号泣。
逸見政孝さんは1993年の2月に病名はせん通性十二指腸潰瘍と発表していましたが、この時はすでにガンの告知を受けていたと言います。
そんな体でありながら、8月には【FNSの日 平成教育テレビ】で23時間にも及ぶ番組の総合司会を務めていたのです。
病気で体力はどんどん失われていたはずですが、キャスター、司会者として仕事に非常に真面目で誠実な方だったんですね。
安藤優子アナが大切な親を失った悲しみは、逸見さんの死から25年経った今も消えないと言います。
安藤アナはアナウンサーとしては珍しいほど、情報番組でも自分の感情を素直に表現します。時にそれが非難されることもありますが、大切な人の死や悲しい出来事に正直に生きるのは人として素晴らしいことだと思いました。
一人の人間として、仕事にも周りも誠実に生きられた、逸見政孝さん。人生80年と言われるこの時代に、わずか48歳という若さで旅立ってしまったことは非常に残念ですが、48年間の人生は、長い短いでは語れない充実した素晴らしい人生だったのではないでしょうか。
最後までお読みいただきありがとうございました!