ソチオリンピックで冬季オリンピックでのアジア人男子初となる金メダルを獲得し、平昌オリンピックでは男子シングル66年ぶりのオリンピック連覇という偉業を成し遂げた羽生結弦選手!
いつ何時も謙虚な姿勢を忘れず、好感度抜群の羽生選手を育て上げた両親についても気になりますよね。
メディアに一切出ない両親ですが、離婚しているなんていう噂も?
羽生結弦選手の両親の職業や離婚の真相についても調べてみました!
羽生結弦のプロフィール
#羽生結弦 SP首位、田中7位 フィギュアGP第3戦https://t.co/AbpmU5uWm6
→羽生が106・69点をマークして首位
→ルール改正後の世界最高得点#フィギュアスケート pic.twitter.com/CaUrhZtt4i— 産経ニュース (@Sankei_news) 2018年11月3日
羽生結弦(はにゅう ゆづる)
生年月日:1994年12月7日
出身地:宮城県仙台市泉区
身長:172cm
体重:57kg
血液型:B型
フィギュアGPフィンランド大会ショートプログラムでは今シーズン世界最高得点を叩き出してくれましたね!
新ルールになってからのプログラム変更を物ともせず、素晴らしいスケーティングを見せてくれました。
羽生結弦選手は仙台市泉区で生まれ育ち、家族構成は父、母、姉の4人家族です。
【結弦】という名前は「弓の弦を結ぶように凛とした生き方をしてほしい」という願いを込めて、お父さんがつけてくれた名前なんだそうです。
名前の通り、凛とした青年ですよね!
2014年のソチオリンピック、2018年の平昌オリンピックでは2大会連続で金メダルを獲得しています。
羽生結弦選手の演技はもちろんのこと、試合後やリンクの外で見せる羽生結弦選手の笑顔や謙虚な姿勢が多くのファンを魅了してやみません。
世界からも称賛されており、羽生結弦選手の強さは海外メディアにも取り上げられています。
どうすればあんなに素晴らしい青年が育つのかとご両親にも注目が集まる中、羽生結弦選手の両親はメディアには一切出演していません。
両親はどんな人?
羽生結弦選手は4人家族ですが、お父さんは公務員で教師として働き、現在は校長として教育現場でご活躍されているようです。
お父さんは野球部の顧問を務めていた経験もあり、羽生選手も野球が大好きなんだそうです。
お母さんは専業主婦のようですが、羽生選手がスケートを続けるためにパートをいくつも掛け持ちしてお金を工面していたんだそうです。
お姉さんはスケートリンクの職員をされているようです。
礼儀正しく、どんなときも謙虚で、まるで天使のような笑顔が魅力的な羽生結弦選手。
うちの子もあんな風に育って欲しい、と願う方も多いはずです。
羽生結弦選手の両親とは一体どんな方なのでしょうか?ご両親はこれまで一切メディアに出てきていないんですよね。
その理由は「頑張っているのは本人であって、親は関係ない」という考えからなんです。
オリンピック金メダリストともなれば、選手はもちろんのこと、家族や親戚、同級生などその選手に関わりのある人々にも注目が集まりますよね。
過去のエピソードや秘話を取り上げ、テレビ出演なんかもよくある話ですが、羽生選手のご両親は親の出る幕ではないと謙虚な姿勢を貫かれているんです。
常に謙虚な姿勢で、感謝を忘れず、誠実に。
羽生結弦選手の人柄や人間性は、両親の背中を見て形成されたものなのでしょう。
スケートを始めたきっかけは姉
羽生結弦選手には4歳離れたお姉さんがいらっしゃいます。
スケートをしていた姉の影響もあり、羽生選手が4歳の頃にスケートを始めたそうです。
幼い頃から喘息に苦しんでいた羽生結弦選手でしたが、スケートリンクであればホコリも少なく喘息の症状改善のために始めたんだそうです。
きょうだい揃ってスケートをしていましたが、お姉さんは18歳の時にスケートを辞めています。
スケートは衣装代や用具代、リンク代などかなりのお金がかかるスポーツとしても有名です。
お父さんは公務員として働いていた為、貧乏ではありませんでしたが、2人の子供にスケートを習わせるほどの裕福という訳ではなかったようです。
家賃5万円の家で暮らし、お母さんもパートに出るなどして費用を工面していたそうです。
お姉さんは弟に託すようにして辞めたのかもしれません。
高額になる衣装は節約のためにお母さんが手作りしていたんだそうです。
家族みんなで協力していたからこそ今の羽生結弦選手がいるんですね。
両親は離婚しているって本当?
そんな羽生家ですが、両親が離婚しているという噂もありました。
実際は離婚はしていないようですが、なぜそのような噂がたったのでしょうか?
羽生結弦選手は2012年からカナダのブライアン・オーサーコーチに師事していますが、お母さんと2人でカナダに移り住んでいたそうです。
もともと食が細い羽生選手のために、家ではお母さんが手作りの料理で健康管理をしていたんんだそうです。
そして2014年のソチオリンピックでは見事な演技で金メダルを獲得しています。
羽生結弦選手が世界で名を挙げ活躍するようになると、実家には取材陣が押し寄せてきたそうです。
その影響もあり、2014年に仙台市内のマンションへと引っ越しをされていたそうです。
そういったことから、別居や離婚という噂がたったのかもしれません。
羽生結弦選手は家族の支えがあってこそ、頑張り続けられるのかもしれませんね。
喘息や怪我と戦い、世界の羽生へと成長し続けている羽生結弦選手。
2022年の北京オリンピックでは3連覇を成し遂げてくれるのでしょうか?
これからも羽生結弦選手を応援していきたいと思います!