ショーケンこと萩原健一さんは1960年代、ザ・テンプターズのボーカルとしてグループ・サウンズの全盛期を築き上げました。
同時期に人気を集めていた、マチャアキこと堺正章さんがボーカルを務めるザ・スパイダーズの弟分的なグループ・サウンズバンドとして活躍していましたが、現在は何をしているのでしょうか?
萩原健一さんや、ザ・テンプターズのメンバーの現在の収入源や生活についても調べてみました!
萩原健一プロフィール
萩原健一(はぎわら けんいち)
本名:萩原敬三(はぎわら けいぞう)
生年月日:1950年7月20日
出身地:埼玉県北足立郡与野町
(現:さいたま市中央区)
血液型:O型
萩原健一さんは東京都荒川区の聖橋中学校・高校在学中に急遽ボーカルとして歌ったことがきっかけで、ザ・テンプターズのボーカリストとして17歳の時にデビューしています。
ザ・テンプターズ結成の元となったのは、15歳の頃に参加した東京朝鮮中高級学校の番長が仕切るパーティーだったそうです。
ザ・テンプターズの前身バンドのライブで急遽当時のボーカルが不在となり、代わりのボーカルとして指名されたのが萩原健一さんでした。
当時のショーケンさんは人前で歌った経験など皆無でしたが、指名されたのが番長だったこともあり、断りきれずにステージに上がったんだそうです(笑)
それが大ウケし、そのままバンドメンバーに加わることになりました。
ザ・テンプターズは、1967年の『忘れ得ぬ君』でデビューしたあとは、『エメラルドの伝説』、『神様お願い!』などで人気を集めました。
当時流行っていたのは、グループ・サウンズバンドで、欧米のバンドスタイルを取り入れた新しいジャンルだったんですね。
同時期に活動していた、堺正章さんがボーカルを務めるグループ・サウンズバンド、ザ・スパイダーズの弟分的バンドとして注目を集め、グループ・サウンズの全盛期を築き上げました。
ザ・テンプターズ時代、若い頃がイケメン!
ザ・テンプターズの当時のメンバーは、
- ボーカルの萩原健一さん
- ギターの松崎由治さん
- ギターの田中俊夫さん
- ベースの高久昇さん
- ドラムスの大口広司さん
デビューは1967年ですが、ザ・テンプターズの前身となるバンドは1966年、埼玉県で結成されました。
初めは女性ボーカルのグループでしたが、ある日のライブでボーカルの女性が体調不良で欠席することとなり、急遽指名されたのが萩原健一さんだったんですよね。
そのままボーカルとしてメンバーに加わることになりました。
若かりし頃のメンバーの皆さんです。
サラサラツヤツヤヘアーですね(笑)
こちらは若かりし頃のショーケンさんですが、ダンディーでかっこいいですよね〜!
昔の男性は渋みがあってカッコ良いと思います。
時代と共に男性像も変化していくものなんですね!
ザ・テンプターズのメンバー現在の生活は?
1967年から1968年はグループ・サウンズ全盛期でしたが、その後ブームは移り変わり、フォークミュージックの時代へと変化しました。
グループ・サウンズの衰退とともに、ザ・テンプターズの活動も緩やかになり、1970年に解散しています。
ザ・テンプターズ解散後、現在メンバーの生活や収入はどうなっているのでしょうか?
実は、1997年、解散後は飲食店を経営していた田中俊夫さんは白血病で亡くなられています。
大口広司さんは、萩原健一さんと共にPYG(ピッグ)のメンバーに加わり解散後も音楽活動を続けていました。
しかし、2009年に肝臓ガンでこの世をさりました。
松崎由治さん、高久昇さんは1972年から音楽活動を引退していましたが、2011年からベーシストとしての活動を再開しているようです。
そしてショーケンこと萩原健一さんは、解散後も音楽活動を継続しており、2018年には【Shoken Records】を設立し、5月には実に22年ぶりとなるシングルをリリースされています。
【Time Flies】というタイトルのシングルは、ショーケンさんのこれまでの音楽活動を振り返るようなタイトルですね。
今後も音楽活動を通してご活躍されることと思われます!
これからのショーケンさんにも注目していきたいですね。