サッカーW杯ロシア大会が大盛り上がりの中、注目されているのが過去の日本代表選手の現在です。
2002年の日韓W杯で一世を風靡下選手といえば、中田英寿。
サッカーを盛り上げ、スター選手として海外での道を切り拓いた日本サッカー界の宝といっても過言ではないのでは?
現役時代はサッカー選手として栄光を築いた中田英寿ですが、現在は何をしているのでしょうか?
今回は中田英寿の現在の姿についてご紹介します!
中田英寿プロフィール
中田英寿(なかた ひでとし)
生年月日:1977年1月22日
出身地:山梨県甲府市
ニックネーム:ヒデ
身長:175cm
体重:72kg
日本代表期間:1997年ー2006年
中田英寿は山梨県甲府市出身で、少年時代は野球が主流でサッカーはさほど人気ではなかったそうですが、キャプテン翼を読んでサッカーに憧れを持つようになりました。
そして、小学3年生のときに兄の影響で地元の少年サッカーチームに所属することになります。
中学3年生の時には日本代表のU−15に選出されていますが、実はヒデはズバ抜けたスキルがあったわけではありません。
評価されたのはヒデのフィジカルの強さ。
若い頃には技術は練習を重ねればいくらでも伸ばすことができますが、世界を相手に戦えるフィジカルの強さがあるかどうかは非常に重要なポイントでした。
その強さにポテンシャルを見出され、日本代表選手に選出されたそうです。
その後、見事世界を相手に戦うスーパースター選手に成長したんですから、すごいですよね!
1995年にはベルマーレ平塚(現・湘南ベルマーレ)に入団。
その後1997年には日本代表選手に選出され、翌1998年には、イタリアのペルージャに移籍し、世界をまたにかけて戦う選手へと成長を遂げました。
1998年のW杯フランス大会で初のW杯出場を果たしています。
2000年にはローマに移籍し、ローマのリーグ優勝にも大きく貢献しています。
こんな輝かしい経歴を持つ中田ヒデですが、自分をすごいと思ったことはないと語ります。
いつでも自分よりも上がいて、自分は普通の人間だからこそ、人よりも努力するということをモットーにしてたと言います。
スターは自然とスターになるのではなく、その陰には必ず並々ならぬ努力があるんですね。
中田ヒデは現在何をしているの?
2006年ドイツW杯で敗退後に代表を引退することを突然発表し、世間を騒然とさせました。
当時29歳での引退に早すぎるとの声も多くあがり、惜しまれながらの引退となりました。
引退について、中田ヒデ本人は、サッカーを好きってやっているのに楽しめない期間が長く続いたと語っています。
好きなことをするというのが中田英寿のスタイル。好きだからサッカーをやっている。
ビジネスとしてのサッカーではなく、楽しむためのサッカーでなければ続ける理由はなかったのかもしれません。
その一つの証拠としてヒデは引退時、まだチーム契約が残っている中「もうお金はいらないから契約を切ってほしい」と願い出て引退しています。
引退後は様々な活動をしていましたが、現在は何をしているのでしょうか?
2006年に現役を引退してからは、自分の好きなことを探すために世界50カ国、150都市以上を旅しています。
世界中を旅して世界に日本の良さを世界に広げる活動や社会貢献が評価され、FIFA親善大使に任命されています。
2003年には株式会社東ハトの執行役員CBO(コーポレートブランドオフィサー)に就任しています。
2009年には日本全国47都道府県を旅して、日本の伝統文化や工芸などを支援するプロジェクトを開始。世界に日本の文化を広める活動に力を注いできました。
2015年には「株式会社 JAPAN CRAFT SAKE COMPANY」を設立しています。
その他にも、2015年からスタートしたFIFAの評議機関IFABからオファーを受け、Football Advisory Panel(サッカー諮問委員)を務めています。
IFABとは、サッカーのルールを決めることができる唯一の機関で、中田英寿はアジア代表として参加しています。
中田ヒデの現在の年収は?
様々な事業を手掛けており、恐らくここに書ききれないほど多くのビジネスを実践されています。
しかし、その多くは慈善活動の為、収入はそこまで多くないのでは?とも言われています。
中田英寿の人生のモットーは自分の好きなことをやること。
今の仕事もお金の為ではなく、自分の好きなことを仕事にするということを第一優先にしているのかも知れませんね。
とはいえ、東ハトの執行役員を務めているということで、その年収は推定3,000万円。
ただし、中田ヒデは現役時代に超高額の年俸を稼ぎ出しています。
Jリーグ入団当初は通常4、500万円程度のところ、異例の1,000万円の年俸。
プロでの活躍で倍の2,000万円に。
さらには海外移籍を果たし、ペルージャ時代には年俸8,100万円、移籍金は6億円。
ペルージャで成績を残したヒデは、移籍金18億でローマに移り、年俸は2億5,000万円にまで登りました。
パルマの移籍金は33億円、年俸4億と恐ろしいほどの勢いで金額が上がっていきました。
これだけではありません。
ヒデは数多くのスポンサー契約を結んでおり、CMの出演料なども含めると相当な金額を稼いだことになります。
現役時代に数十億から100億円以上を稼ぎ出したことになりますので、ヒデの活動はお金の為である必要性もないのかも知れません。
お金の為に働く人は多いですが、好きなことを追い求めて仕事にしたい、という人もまた多いですよね。
それを両立させている中田英寿はやはりレジェンドです。
サッカーでカリスマ性を発揮したヒデは、ピッチの外でもやはり輝いています。
現在メインの仕事は日本酒会社の社長
2006年に現役を引退したあと、自分の好きなこと探しの為に海外を旅していた中田英寿ですが、海外に出て改めて日本の素晴らしさを感じたと言います。
日本の良さを世界に広めたい、と思ったことが中田ヒデの好きなことになりました。
現在は日本酒の良さを世界に広めるべく、日本酒の会社の社長として活躍されています。
2015年に株式会社 JAPAN CRAFT SAKE COMPANYを設立し、社長を務めています。
日本酒の良さを最大限に引き出す為に器や家具なのどの背景にもこだわり、本当においしい日本酒を世界にアピールしています。
キットカットの梅酒味のコラボ商品も発売されるんだとか!!
サッカー選手が引退後にお酒の事業をすることが多いらしく、あの元イングランド代表のベッカムはワインの事業を立ち上げています。
お金の為ではなく、価値の為に仕事をする中田英寿。
自分の人生を最大限に活かそうとするその姿には考えさせらるものがあります。
見習いたいものですね!